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2度震災を見て想う事。阪神淡路大震災から今日で20年経ちました。

   

1995年1月17日。
当時私は小学生で、実家の大阪にいました。
明け方、突然天井から姉のセーラー服が降ってきました。

と思ったら…世界が上下に揺れました。
この言葉通り、本当に強い揺れでした。

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地震という大震災はいつ来るか分からない

父が子供部屋に飛んできて、
大量の教科書、辞書に埋もれた私の姉をすぐに救出。

そのまま皆でテレビを見ていると、
神戸方面で大きな地震があったと知りました。

まるで戦争のような映像を今でも覚えています。

 

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東日本大震災

時は過ぎて、2011年3月11日。
当時私は千葉で仕事をしていました。

突然の大きな縦揺れ、そしてその後すごく長い横揺れでした。
あまりの怖さにへたりこんで、近くにいた先輩にすがっていました。

職場のテレビから、近くの工場の火災などの情報を知り、
数時間後、東北の大惨事を知りました。

 

電車はストップ、水もガスも止まってしまいました。
スーパーから食品やティッシュ等生活用品が消え、
放射能という見えない恐怖におびえていました。

納豆が発売されるまで一ヶ月程かかり、
久しぶりに食べた時に感動しました。

実家が大阪なので、
食品や電池を送ってもらったりもしていました。

 

阪神淡路大震災

話は1995年に戻ります。
当時の神戸のあたりは、本当に悲惨でした。

翌年、私の実家の隣の戸建てに、
若い家族が引っ越してきました。

若い夫婦と子供3人。

聞くと、神戸で被災し、大阪でお父さんが就職先を見つけて、
家族全員で大阪へ引っ越してきたそうです。

 

今、自分が当時のお隣さん夫婦と近い歳になって思います。
どれだけ大変だったんだろうと。

精神的な面もそうですが、金銭的に相当キツかったと思います。

住宅ローンや教育資金など、その大変さは今になってわかります。
さらにお父さんは転職していますからね。

 

数年後、私は中学生になりました。

クラスに、神戸から引っ越してきた同級生の男子がいました。
被災して、引っ越してきたと聞きました。

でも誰もそれを本人には聞けません。
かける言葉が見当たらないんですよね。

大人になった今でも慰めの言葉ひとつ言えない。

 

私は地震が怖いです。
日本は火山列島ですから、また地震が来ると思いながら、生きていくしかないですね。

また、台風の通り道である事、海に囲まれていて津波の危険性がある事も、
常に心得ておかなければなりません。

 

阪神淡路大震災では、多くの人が家屋や家具の下敷きになり
命を落としました。

また、真冬の早朝という事もあり、
ガスや石油ストーブ等の火の元が原因で大火災が起きたと言われています。

電気ストーブが地震で停止していたのに、
電気復旧後また電源が入ってしまい、火災になった事もあるそうです。

 

2度、大震災をその近くで見て想う事

地震は止められないけど、防災は出来る。
家の耐震、免震工事は出来る。
火の元の確認、電気のブレーカーを落とす事は出来る。

私達は次にきっと来るであろう震災に
備えておかなければなりません。

日本に、地震が来ない安全な場所は無いと思います。

 

最後に、地震や災害により、今なお避難所で生活をされている方々へ。

 

今の神戸の美しい街並みや復興した姿が、
皆様の希望になりますようにと願っております。

阪神・淡路大震災「1.17」の記録

神戸市ホームページ

 

2015年1月17日
ラビットしま子

 

美白と美肌は女の夢☆美容の為におやすみなさい(-_-)zzz

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